はじめに
この記事でわかること
この記事では、
- 発達グレーゾーンの子どもの「問題行動」の裏側にある気持ち
- 私が学級全体へ特性を伝えようと思った理由
- 保護者の言葉に私が深く傷ついた理由
- 今回の出来事から親として学んだこと
について、我が家の実体験をもとにお話しします。
発達グレーゾーンの子どもを育てていると、「問題行動」という言葉を耳にすることがあります。
もちろん、相手を傷つけてしまう行動は止めなければなりません。
親として謝ることも、本人と一緒に振り返ることも、同じことを繰り返さないよう考え続けることも、大切な責任です。
でも今回、私は一番見落としてはいけないものがあることに気づきました。
それは、「問題を起こした子どもの心」です。
今日は、息子が私に問いかけた一言をきっかけに、どうしても伝えたいことを書きたいと思います。
息子を守るためではなく、みんなを守りたかった
ADHDグレーゾーンの息子が小学校へ入学して、4か月が経ちました。
学校生活では、集団活動が難しかったり、感情があふれてしまったり、衝動的に行動してしまうことがあります。
もちろん、それを「特性だから仕方ない」で済ませるつもりはありません。
相手のお子さんが怖い思いや嫌な思いをしたなら、親として誠意をもって謝ること。
本人と一緒に振り返り、どうすれば良かったのかを考えること。
それは親として当然の責任だと思っています。
私たち家族も、そのたびに学校と話し合い、相手の親御さんへ謝罪し、家では時に涙を流して声を荒げながら息子と向き合ってきました。
学期も終わりに近づいたある日。
また学校から連絡帳と電話が入りました。
「あと数日なのに、穏やかに終われる日は来ないのだろうか。」
正直、その頃の私は心が限界でした。
でも同時に、私が気になっていたのは、トラブルに遭ってしまったお友達やご家族のことでした。
怖い思いをさせてしまったかもしれない。嫌な気持ちを残してしまったかもしれない。
その申し訳なさも、ずっと抱えていました。
だから私は、学校へ一つお願いをしました。
「もし学校や学級運営が少しでも良い方向へ進むなら、父母会で息子の特性についてお話ししたいです。」
本来、子どもの発達特性はとてもプライベートなことです。話す義務もありません。
むしろ話さない家庭の方が多いでしょう。
それでも私は、先生方への感謝。相手のお子さんへの申し訳なさ。息子が少しでも学校で過ごしやすくなってほしいという願い。
いろいろな思いを抱えた上で、自分なりに覚悟を決めました。
すると先生は、
「おんまさん、勇気を出して、学校や学級のためにそう考えてくださってありがとうございます。」
そんな言葉を掛けてくださいました。
私は少しだけ救われた気がしました。
「どうしたら治るの?」と泣いたのは息子でした
その翌日。
私はある出来事をきっかけに、保護者の間で息子のことが話題になっていたことを耳にしました。
「あれは発達じゃないよね。」
「性格の問題なんじゃない?」
「家ではいい子で、学校だけ違うんじゃない?多分二面性だよ」
もちろん、その方たちにも見えていた景色があったのだと思います。学校で見える姿だけを見れば、そう感じる人もいるのかもしれません。
でも、その言葉は私の胸に深く刺さりました。
そして、その言葉を耳にした日の夜。息子もまた、学校での出来事を振り返りながら、自分を責めて泣きました。
息子が泣きながら私に言ったのです。
「どうしたら僕は治るの?」
「僕の手と足には、別の感情があるみたい。勝手に体が悪いことしちゃうのを治したい。」
私は何も返せませんでした。胸が締め付けられました。
目の前にいたのは、
「問題行動を起こした子」ではありません。
自分を責め、苦しみ、どうにもならない自分に涙を流す、一人の六歳の男の子でした。
その姿を見たとき、私は思いました。
一番苦しんでいたのは、この子だったのだと。
私が一番傷ついたのは「決めつけ」でした
もちろん、目の前で起きた出来事だけを見れば、そう思ってしまう方がいることも理解できます。
でも、一方の視点で見える姿だけが、すべてではありません。
家で泣いている姿。
「僕はヘンテコだから」と自分を責めている姿。
発達クリニックへ通い、学校と話し合い、家族で何度も試行錯誤してきた日々。
そうした背景は、外からは見えません。
だから私は、どうか一場面だけで、一人の子どもの人格まで決めつけないでほしいと思いました。
起きた行動について、怒りや不安を抱くことは当然だと思います。相手のお子さんやご家族が受けた苦しさも、決して軽く扱ってはいけません。
けれど、確認できた事実を超えて解釈を広げ、「性格が悪い」「二面性がある」と、一人の子どもの人格まで語ることは別の問題です。
行動について話し合うことと、その子の存在を否定することは、同じではありません。
問題行動を起こしたからといって、「人格が悪い」になるわけではありません。
その子にも、その子なりの苦しさや、乗り越えようとしている毎日があります。
息子に限らず、同じ教室で過ごす子どもたち一人ひとりにも、外からは見えない不安や事情があるのだと思います。
子どもたちは皆、自分なりの方法で人と関わり、この社会の中で生きる練習をしている途中なのではないでしょうか。
学校を責めたいのではなく、大人みんなで考えたい
この数ヶ月間、学校の先生方は限られた環境の中で、息子のために何度も工夫してくださいました。ただし、普通学級だからこそできることにも限界があります。
だからこそ今は、学校だけではなく、療育や医療など専門機関とも連携しながら息子を支えていくことが大切なのだと思っています。
今回改めて感じたのは、子どもを育てるのは学校だけではないということでした。
家庭。
地域。
そして私たち保護者。
子どもの自己肯定感は、大人を含めた、みんなの関わりの中で育っていくのだと思います。
子どもを傷つけるのは、問題行動だけではない
今回、私は人の優しさにも、人の残酷さにも触れました。
一緒に涙を流してくれる人がいました。
「大丈夫?」と声を掛けてくださる方がいました。
その一方で、背景を知らないまま子どもを決めつける言葉もありました。
私は思います。
子どもを傷つけるのは、問題行動だけではありません。
大人の何気ない一言も、子どもの心を深く傷つけることがあります。
「あの子はこういう子。」
「性格の問題。」
「親の育て方。」
そんな言葉は、多くの場合、大人から始まります。
そして、その見方は少しずつ子どもたちにも受け渡されていきます。
だからこそ私たち大人には、目の前の行動だけで、その子の人生まで決めつけない責任があります。
「何があったんだろう。」
そう想像することから始められる社会であってほしい。優しさで理解を示せる世の中であってほしい。
私は心からそう願っています。
学んだ3つのこと
問題行動は止めなければいけません。でも、その背景には本人にもどうにもできず苦しんでいる気持ちが隠れていることがあります。
「どうしたら治るの?」と泣いた息子が、そのことを教えてくれました。
行動には向き合う必要があります。でも、その子の存在まで否定してはいけない。
「悪い行動」と「悪い子」は違います。私はこのことを忘れない親でいたいと思います。
今回の出来事で傷つきました。でも、その傷があったからこそ、「私はどんな大人になりたいのか。」を考えることができました。
誰かを決めつける人ではなく、背景を想像できる人でありたい。そんな大人を一人でも増やしたいと思いました。
おわりに
私は、この出来事を通して一つ決めたことがあります。
息子の問題行動を正当化したくて、この記事を書いたのではありません。
伝えたかったのは、問題行動の向こう側にも、一人の子どもの人生があるということ。
残酷さをなくすことはできないかもしれません。
でも、残酷さを超える優しさを広げる人にはなれる。
私はそんな大人になりたい。
そして、誰かを決めつけるのではなく、「何があったんだろう。」と立ち止まって考えられる人でありたい。
だから私は、この経験を書きました。
息子のためだけではありません。
今、誰にも理解されず、一人で泣いている親子のために。
あの日、「どうしたら治るの?」と泣いた息子が大人になる頃には、子どもたちが行動だけで決めつけられず、
「ありのままの自分でも生きていい。」
そう思える社会が広がっていて欲しい。
今日よりも明日、この社会が、目に見える行動だけではなく、その奥にある心まで想像できる場所になりますように。
よくある質問
- 発達グレーゾーンの子どもは問題行動を起こしやすいのでしょうか?
-
発達グレーゾーンの子どもだからといって、必ず問題行動があるわけではありません。
ただ、衝動性や感情のコントロール、集団生活での困りごとなどから、周囲とのトラブルにつながることがあります。
我が家では、「なぜその行動が起きたのか」という背景を一緒に考えることを大切にしています。
- 問題行動があったとき、親はどのように向き合えばいいですか?
-
行動を振り返り、必要であれば謝罪することは大切です。一方で、子ども自身も苦しんでいる場合があります。
我が家では、「悪い行動」と「悪い子」は違うことを忘れず、行動と人格を分けて向き合うよう心掛けています。
- 周囲から理解されず苦しいときはどうすればいいですか?
-
一人で抱え込まず、学校や医療機関、発達支援センター、療育施設など信頼できる場所へ相談することをおすすめします。
また、同じような経験をした保護者の体験談に触れることで、「自分だけではない」と感じられることもあります。
今日伝えたかったこと
- 問題行動だけを見て、その子の人格まで決めつけてはいけない。
- 一番苦しんでいるのは、子ども本人かもしれない。
- 行動を止めることと、その子の存在を否定することは違う。
- 子どもの自己肯定感は、大人の何気ない言葉で大きく変わることがある。
- 「何があったんだろう」と背景を想像できる社会を、私は息子たちに残したい。
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